2006/09/15

燃え系

 無性に温泉に行きたい発作が起き、群馬の猿ヶ京温泉に行く。昔は1ヶ月に1回はそういう発作が起こっていたが、いまは2ヶ月に1回位か...いずれにしても、これは一生治りそうにない。
 今回は、普段あまり行かない方向に行こうと考え、「じゃらん」や「楽天トラベル」をあれこれ調べて(今回は「一休com.」は高いので使用せず)、「安くて良さそうな宿」を見つけた。その名は「三河屋」。確かに値段にしては良い。畳敷きのお風呂も、貸切ジャグジーも悪くない。

 そうそう。
 前のブログでも書いたが、私の「ギャグの盟友(?)」デーブ・スペクター氏から「自分の車が燃えた」とのニュース映像が届いたのも、この時。
 ちょうど宿でゴロゴロしていた時だった。
 こういうところまでギャグにせんでもええのに...

 麓にある沼田市には、従姉妹夫妻が住んでいる。
 帰り際、彼女たちの案内で、ジモティ-が通う野菜の直売所を廻る。
 たくさんある直売所の中から5箇所を訪れ、山のような野菜を車に積んで、東京へと帰ってきた。満足。
 特に良かったのはみなかみ町の「太助の郷」と、昭和村の「旬彩館」。必ず、トランクに野菜を積むスペースを残しておくことを、強くお勧めする。

 てなことで1つ。
 デーブ氏の新しいカテゴリー:

「燃え系」

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2005/12/25

舞妓・ジャクソン

 クリスマス・イヴを、サックス奏者の本田雅人さんらと、河豚を食べて過ごした。
 旨かった!
 本田さんとは、実は一度も仕事したことないのだが、親しくさせて頂いている。本田さんはとても面白い上に、素晴らしい人柄の方。 
 河豚と酒で本田さんはダウンしてしまったが、残りのメンバーで四ツ谷のイグナチオ教会のクリスマス・ミサに行く。
 厳粛だけど、お祝いの雰囲気。
 大きなクリスマス・ツリーもいいけど、たまにはホンモノのミサもいい。
 
 若い頃はクリスマスは虚栄の匂いがして(バブル期でもあったし)「キリスト教徒でもないのに、商業主義に踊らせられて」とか思ってた。実際はクリスマスと正月は寂しくて仕方ない人も多いしね(世の中も動かないし)。
 でも時を重ねると、そういう浮かれた時間も、年に何回かは予定調和的にあった方がいいかもしれないような気もしてきた。

 話は変わるが、ここ数日、マレーシアから帰って以来、コンサートなどに招かれ続けている。有難い。
 22日は東京国際フォーラムAでの日韓友好年(国交正常化40周年)の最終イベントに足を運んだ。フォーラムCで坂本龍一さんのピアノコンサートがあったので、そっちに入りそうになったけど...
 指揮は下野竜也君。札幌時代に出会い、2年前には尾高忠明さんが主催されたウィーンでの宴会で再会し、どんちゃん騒ぎを(個人的に)した。彼はホンモノ。志を感じる。
 まだウィーンのアパートは借りたままなのかな。
 アレンジは藤野浩一さん。藤野さんがインビを用意してくださった。
 藤野さんとも、仕事は殆ど一緒にしたことないんだけど、器が大きく、その器の中に匠の技が憎い位に散りばめられた音世界は、鳥肌を誘う。あまりに匠過ぎて、解り辛いところが難なのですが...たまに一緒に飲むのはかなり楽しく、嬉しい。
 このコンサートはてんこ盛り。ユーミンまで登場した。

 スポンサーはサムソン(三星)。違和感なく韓国企業が冠のコンサートが開催される時代になったことは、大きな流れだと思う。
 あまり気持ちのいい話ではないけど、あえて書く。
 私は尾張藩の家臣の末裔で、祖父は海軍兵学校を出た海軍将校。つまり、日本人。
 でも、隣の国の言葉や文字にごく自然に関心を持ち、ハングルの母音が読めただけで、そう遠くない昔、会社のアホな先輩から「お前は半島の人間か?....」という言われなき侮蔑の言葉を浴びたことがある(勿論、アホに何言っても仕方ないので、放っておいたが)。
 隣の国といえばロシア語も読めるが「お前はロシア人だろ」と、そのアホは言わなかった。
 個人的には、韓国には4回足を運び、韓国・朝鮮人の友人・知人もたくさんいる。ソウルで居候してたこともある。
 大体、国籍や人種で差別をするなど、ナンセンス極まりない。人は「個人」。人種や国籍など関係なく、その個人を見てあげるべき。
 昔、スイスにいたとき、自宅近くで現地のガキ(私もガキだったが)に唾を吐かれたことがあった(その両親はすぐに謝罪してたが)。そういう1つ1つの不条理で理不尽な行為は心に残って、ねじくれていく。
 そんな記憶が隔世の感になりつつあることを喜びつつ、東フィルの音色に浸っていた。

 23日は塩谷哲さんの「Saltish Night」に伺う。
 いつもながら、中野サンプラザという大会場なのに、アットホームな雰囲気。
 塩谷さんは、5年前に、雪深い北海道深川市で、吉田美奈子さんらとの共演をディレクションした。夜、宿に行くと、浴衣姿の美奈子さん(これは貴重でしょ!)を拝見させて頂いたりもした。
 繊細なピアノの音色に酔いしれる。

 そんなこんなで、芸者には雪が似合うということで、1つ:
 映画「SAYURI」(英語だと「Memories of Geisha」って言います)にチョイ役で出てた世界的スーパースター

 「舞妓・ジャクソン」
 
 

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2005/12/22

盗難アジア

 マレーシアに行く。
 8年振り4回目なのだが、特にクアラルンプール(KL)の発展ぶりに驚いた。

 経済的な観点では「追ってくる者」の方がパワーが凄い。
 日本が、昼間から働きたくないほど暑い国でなかったことを感謝するしかない。でも、今年の夏など、生きるのも辛かった(by「待つわ」)暑さだったけど。

 某離島で泊まったホテルは最高!
 部屋だけを見たらローマのエクセルシオールを彷彿とさせ、外を見れば南国だった(海は汚すぎるけど)。でもそれは、西洋文明に啓蒙という名の支配を受け続けていた証でもある。
 幸いというか、マレーシアは英語が通じ、私も結構、英語が話せるので苦労しないのだが(一応、帰国子女なので...)、やっぱりアジア人同士は、アジアの言葉で語り合いたい。

 そうは言っても、子供の頃から日本とヨーロッパを往復してたので、自分の中でもアジアは遠かった。
 10代後半から、安くヨーロッパに行くために「南周り」(いま、あるんですかね?)のエア・チケットを買うようになり、トランジットやストップ・オーヴァーで、バンコク、香港、シンガポール...などに立ち寄った。その都度、街に出て、街の空気を素肌で感じていた。
 当時は、香港では洗濯物が取れそうな程、着陸の時はスリリングだったが、あの風景を見て「ああ、香港に着いたんだから、もう家に帰って来たも同然だ」などと安心していた。

 そんなことを思い出すと、本当に時代と共に、アジアは成長している。
 マレー語では「ありがとう」しか言えないけど...
 
 西欧が(地政学的にも、国力的にも)「平衡」の関係なのに対し、東アジアは「垂直」。
 さらに言えば、ヨーロッパが「収縮」なのに、アジアは「拡散」。
 アジアの人々が自由闊達で言うこをと聞かないからこそ、絶対的な権力(それも、理不尽な生い立ちの政権や、勘違いした威張り散らす「オジサン」&「オバサン」)がイニシアチブを握ることが多く、それに不満を唱えながらも「剣を持って」逆らうことが歴史的には少なかった(それは「お上」ってやつです)。

 でもいま、豪壮なショッピングモールで弊店間際まで賑わい、カートゥーン・ネットワークのキャラクター・ショーにムスリムの子供たちまで夢中になるマレーシアの風景を見て、思う。
 アジアの多様性こそが、21世紀を生き抜くためのヒントじゃないのかな、と。

 という感じで、1つ。
 現地で会った中国系マレーシア人の、珠玉の日本語ギャグ。
 泥棒が多い地域:

 「盗難アジア」

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2005/12/01

チゲナベイビー

 東芝EMIのKさんに招かれ、渋谷のクアトロにsaigenjiのライブに行く。
 ブラジルが好きなのが溢れてくる。本人が楽しんでいるので、オーディエンスも楽しんでいるのがよく解る。私も楽しかった!勝手に体がリズムを刻んでた。
 あとは英語の発音をもう少し頑張れば、ね。
 帰りがけに、同じくEMIのMさんと立ち話をする。実に久々だった。

 関係ないけど、クアトロやリキッドルームのようなビルの上にあるライブハウスには、1箇所、思い出の場所がある。
 それは、ソウルの江南バスターミナルの近く、三宝(サンプン)デパートの最上階にあったイベントホール風のライブハウス。当時、同じ大学の留学生だった韓国人の先輩の友人(韓国の裁判官・向かいが裁判所だった)から聞いて、よく解らないバンドの演奏を聴きに行ったことがある。
 最上階にはレストラン街もあり、ビビンバ食べた記憶も。
 その後、そのデパートは、過剰な建て増しが影響し、ある日突然崩落。多くの犠牲者を出した。
 そう。耐震偽造建造物の成れの果てと、同じ結末を迎えていたのだ。

 勿論、クアトロなんかとは何の関係もないけど、時節柄、不意に思い出してしまった...
 繰り返しになりますが、ライブは楽しかったですよ!

 韓国を思い出したということで、1つ:韓国のロッカーの常套句

 「チゲナベイビー」

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2005/11/24

落胆イーグルス

 飯田橋の居酒屋「ひろし」で開かれた、三上敏視さんの「神楽ジョッキー」に行く。
 三上さんはmicabox名義で活躍するミュージシャン。細野晴臣さんの(当時の)マネージャーH氏に紹介してもらった。札幌在住であることもあり、札幌時代からさまざまなことで相談にのって頂いている。最近では、細野晴臣さんとともに“東京シャイネス”というバンド(?)でも活動している。

 “神楽”と聞いてもピンと来ない人も多いと思う。
 簡単に言えば、神様と人間が一緒に飲んで、歌って、踊る儀式。
 パフォーミング・アーツの一種だと思って見るだけで、相当面白い。
 もちろん、歌や踊り、登場する神々など、その背景を知ると、自然や生命、宇宙などに対する先人の畏敬と畏怖の念が感じられ、益々、面白い。 
 だから、単なる伝統芸能の一種、例えば、「ド民謡」などと並ぶ「古臭いもの」として考えず、太古の昔から、その地に住む人々が想像力を駆使して作り上げてきた、奇想天外な“民衆オペラ”だと捉えて見ることを、是非、お薦めする。

 神々になりたい...と六本木ヒルズの住人は考えているかもしれないということで、1つ:うまくいかない野球チーム

 「落胆イーグルス」

 

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2005/11/15

ピート・丹前ト

 渡辺香津美さんらと、箱根の温泉に行く。
 まだアイディア段階なのだが、ある構想を持っている方がいて、それについてのブレストを実際に温泉旅館に泊まりながら行う...という、ちょっと曖昧で珍しい話。
 仕事5%、オフ95%という感じだったが、凄い料理と源泉かけ流しの温泉を堪能する。

 仕事の都合で到着は夜になった(17時に渋谷駅を出て、18時45分に箱根・芦の湯に着く)。そんなわけで、宿に入ったときは全く判らなかったのだけど、朝起きた時、寒い空気の中に広がる紅葉のパッチワークを見て、日本人であることの喜びを感じる。
 紅葉は世界的な自然現象であることは当然なのだが、露天風呂から眺める山野の美しいグラデーションなど、他に比類なきものなのでは?

 渡辺香津美さんは、ここ十年来、何かアイディアを思いつき、コンセプトやタイミングが合うと、最初にコンタクトを取る方の1人である。世界的なギタリストと作品を作ることだけでも嬉しいのだが、こうして温泉にご一緒するなど、光栄の極み。
 泊まった名門旅館の経営者の方は、筋金入りのバンドマン。ナマの香津美さんとブレストをしているだけで、まるで少年のように喜んでいるように、傍からは見えた。
 後で思い出したが、この宿は、昔、とある学生オケの合宿で泊まった。その思い出自体は、正直、いい思い出ではないのだが...

 “構想”の方はどうなるかわからないけど、アクションがなければリアクションはないので、考えたらどんなことでも実行を試みることは、悪いことではない。
 上手くいけば上々だし、上手くいかなければ別のことをすればいい。

 温泉とギタリストいうことで、1つ:浴衣と相性のいいギタリスト

 ピート・丹前ト

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2005/11/02

倒壊道

 あるサイトで評判のとても良い箱根の旅館の予約が、普段の料金の半額で取れた。
 運良く仕事も一段落したところなので、泊まりに行く。
 その旅館は、強羅の外れにある。とある大企業の保養所だったものを一般に開放した、こじんまりとした居心地のいい宿だ。
 紅葉はまだ二分から三分という感じだが、凛とした秋の空気が気持ちいい。

 箱根、とりわけ強羅は、私にとって思い出深い地だ。
 何しろ、3歳から三年もの間、電車を乗り換え、箱根登山鉄道に乗り、強羅にある女子大付属の幼稚園に通い続けていたのだ。この長大な通勤・通学時間は、いまだに自己記録である。
 その頃、箱根登山鉄道は、私にとって日常の一部であり、非日常にワープするトンネルのような存在だった。ゆっくりと走る車窓から見た花鳥風月・雪月花は、いまだに心の原風景だ。
 いまは車で行くことが圧倒的に多いけど、箱根に行くと、子供の頃の自分がちょこまかと歩いているような気もする。

 余談だが、折角“お受験”までして入ったのだから、小学校まで行って(当時は男子も小学校まで行けた)、系列の私立中学に進学すれば人生も変わったのだろうけど、女子大付属で育つことに危惧を抱いた家族によって公立の小学校に戻され(だったら“お受験”させるなよ!)、以後、学業では最後まで超低空飛行を続けた。

 幼稚園の裏手には、馴染みの保養所があり、まるで家族の一員のように接してくれた。
 いまでは親会社が倒産し、その保養所は人手に渡ったが、つい最近まで、事あるごとにお世話になり、硫黄で真っ白の風呂に浸かっていた。
 そう。考えてみれば、3歳の頃から、ずっと温泉に浸かり続けている。

 強羅の旅館で松茸に舌鼓を打ち、風呂に浸かっていたら、何だか元気が沸いてきたような気がした。たまには原風景の真っ只中に身を置くのも、悪くはない。

 箱根八里ということで、1つ:壊れやすい道路

 「倒壊道」

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2005/10/29

「片山議員、いつ来たの?」「さつき」

 4回目の横浜トリエンナーレ2005。
 総合ディレクターの川俣正さんの案内で、ピーター・バラカンさんらが会場を廻るという企画の本番。

 バラカンさんは、ここ3年くらい、仕事だけでなく、いろいろな場でご一緒している。
 センスはユニークかつ鋭敏。一方で、義理堅く心遣いの厚い、ある意味、日本人以上に日本人らしい方である。
 午前中は雨に祟られてどうなるかと思ったが、何とか企画は終了する。

 仕事は「ああすればよかった...」という事柄が、常に、後から思えば少なからず生じる。正直、今日も幾つかある。
 でも、「ああすればよかった...」がなくなって、「どんなもんだい!やったぞ!」というような仕事後の感想しかなくなったら、それはそれで客観性の欠如、成長の停止の証。
 これからも、出来るだけ高いレヴェルで「達成と反省」「プライドとコンプレックス」を鬩ぎ合わせながら生きていきたいなという思いが、生まれ故郷・横浜の雨後の晴天を見ていたら、心を過ぎった。
 とはいえ、のんびりと温泉に浸かったりするのも、私の人生にとっては大事。峰竜太さんのように仕事一途には生きられない。
 晴天が夜景に変わるころ、クランクを何度も曲がった思索の軌跡(というか、ボーッとした思い浮かべの変遷)は「offがなければonはない!」というところで帰結を迎える。
 生きている限りは、今日のように止まない雨はないし、夜が来ないことも、夏が終わらないこともない。

 まあ、何でそんなに今日の思考が抽象化したかといえば、やっぱり現代美術を散々見たからなんだけどね。感化されやすいといえば、ハイ、それまでよ!
 ということで、続きは、明日!

 初心に戻って、初歩的な小噺を、1つ:

 「片山議員、いつ来たの?」「さつき」

 

 
 

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