2006/09/27

デーブ・インパクト

 恵比寿のリキッドルームで開かれた、高橋幸宏さんのライブに行く。
 いろいろあって2時間程遅刻したら、ちょうど幸宏さんの登場。
 ハッキリ言って、今年最高のライブの1つ。いや、最高でした!
 YMOは、クラシックしか家の中で流れてなかった子供時代に(親父がオケにいたので...)、その道を大きく外すことのきっかけとなった存在。
 幸宏さんの紡ぐ音楽を聴いていると、ゆったりと心地よい空気と時に包まれた気がした。

 という余韻の中で、1つ:
 すぐにダジャレを言う競走馬

「デーブ・インパクト」

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2006/09/03

不義理よ今夜も有難う

 すいません...
 更新するのをすっかりサボっていて。昔から、瞬発力はあれど、持久力には乏しいタイプだったので...
 ということで、思いっきりアーカイブの話から、少しずつ記していきます。

♪あれは半年前...

 山下洋輔さんと、濃い仕事をする。
 山下さんの日本の音楽への関心は、とても深く、さすがに視点が凄い。いま、一番注目している日本の音楽は「お神楽」だという。
 「お神楽」は日本のダンスミュージックのルーツ。そう、日本は知る人ぞ知るダンスミュージック大国だということを忘れてはいけない。
 諸々あって、仕事は結構押してしまい、夜中までかかった。
 でも、疲れ一つ見せない山下さんに、深い感銘を受ける。
 そうか、神楽か。その目の付け所は、鋭い感性としか言いようがないですね。

 ということを含め、ちゃんと更新しますから、許してね、で1つ。
 いまの気持ちを歌にすると

「不義理よ今夜も有難う」
 
 

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2006/01/30

ライブ・ポア

 渋いコンサートをハシゴする。

 まずは紀尾井ホールで行われた本條秀太郎さんの「端唄」。
 本條さんと親しくさせて頂く前は、伝統邦楽(あまりに茫漠とした言い方ですが...)は全く知らなかった(いまでもあまり詳しくないけど)。
 でも、「端唄」のように粋な世界が見えてくると、そこから伝統邦楽の魅力も見えてくるような気もする。
 これは私見なのだが、西洋古典音楽が「法治」的な要素が強いのに対し、日本古典音楽は「人治」的な側面が強いように感じる。だからこそ、属人的な面が音楽にとってはしがらみになる場合もあることは確かだけど。
 でも、ちょっと視点を変えれば、伝統邦楽は豊かな音楽として、もっともっと世界にアピール出来るのではないかなとも思った。
 本條さんは本條流の家元でありながら、アバンギャルドな試みも次々と企てている。その姿勢が具現化されたステージに感銘を受ける。最後は赤坂の芸者さんの踊りまで登場し、実に「粋」な気分で会場を後にする。

 それから葉山のカフェ「もうひとつの風景」に足を延ばし、高橋悠治さんと斉藤晴彦さんの「冬の歌」(シューベルト)を聞く(東京公演に行き損ねたので...)。
 先程、西洋古典音楽は「法治的」だと書いた。それも真理の一端だと思うが、演奏者や歌手の「heart&soul」があれば、ダイレクトに心に届くことを痛感する。ひょっとしたら、「リズム・メロディー・ハーモニー」を正確に音色化することに拘泥するというように、西洋古典音楽を「法治的」にしてしまったのは、原理主義的な日本のクラシック界(の一部の方、としておきましょう)かもしれないですね。
 やはり、音楽は「heart&soul」が、何より一番大切なのですよ。うんうん。
 
 客席には小説家でありスポーツライターの玉木正之さんの姿もあった。玉木さんには10年位前に、島田雅彦さんと2人で「オペラについてひたすら話す」という仕事をお願いしたのだが、その当日に不慮の事態(時限スト)があり立ち会えなくなったという笑い話だが笑い難い思い出がある。 
 それにしても、葉山の「もうひとつの風景」は、面白い空間。客席との距離感も絶妙だし、楽屋が中二階で様子が丸見えというのもユニーク。個人的には、ステージやホールだけが音楽をプレゼンテーションする場ではないと確信しているので、こういう「場」は大好きだ。

 渡辺香津美さんや、山下洋輔さんも、近々ここでライブをやるらしい。
 実は昨日、風邪気味だったので、電通のIさんに誘われていた山下洋輔さんと立松和平さんのトークセッションをキャンセルした。その代わりという訳ではないけど、ここでやる山下洋輔さんのライブに来てみたいなと思った。
 湘南育ちなので、ここら辺の空気は身体に合ってるし!
 終演後、悠治さんに挨拶し、逗子駅行きのバスに乗った。134号線を走ってたら、何故か、イルカの「海岸通り」のメロディーが頭を過った(トシですね...).

 そんなこんなで、遅ればせながらホリエモンのネタで1つ:
 成仏した会社

「ライブ・ポア」

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2005/12/22

盗難アジア

 マレーシアに行く。
 8年振り4回目なのだが、特にクアラルンプール(KL)の発展ぶりに驚いた。

 経済的な観点では「追ってくる者」の方がパワーが凄い。
 日本が、昼間から働きたくないほど暑い国でなかったことを感謝するしかない。でも、今年の夏など、生きるのも辛かった(by「待つわ」)暑さだったけど。

 某離島で泊まったホテルは最高!
 部屋だけを見たらローマのエクセルシオールを彷彿とさせ、外を見れば南国だった(海は汚すぎるけど)。でもそれは、西洋文明に啓蒙という名の支配を受け続けていた証でもある。
 幸いというか、マレーシアは英語が通じ、私も結構、英語が話せるので苦労しないのだが(一応、帰国子女なので...)、やっぱりアジア人同士は、アジアの言葉で語り合いたい。

 そうは言っても、子供の頃から日本とヨーロッパを往復してたので、自分の中でもアジアは遠かった。
 10代後半から、安くヨーロッパに行くために「南周り」(いま、あるんですかね?)のエア・チケットを買うようになり、トランジットやストップ・オーヴァーで、バンコク、香港、シンガポール...などに立ち寄った。その都度、街に出て、街の空気を素肌で感じていた。
 当時は、香港では洗濯物が取れそうな程、着陸の時はスリリングだったが、あの風景を見て「ああ、香港に着いたんだから、もう家に帰って来たも同然だ」などと安心していた。

 そんなことを思い出すと、本当に時代と共に、アジアは成長している。
 マレー語では「ありがとう」しか言えないけど...
 
 西欧が(地政学的にも、国力的にも)「平衡」の関係なのに対し、東アジアは「垂直」。
 さらに言えば、ヨーロッパが「収縮」なのに、アジアは「拡散」。
 アジアの人々が自由闊達で言うこをと聞かないからこそ、絶対的な権力(それも、理不尽な生い立ちの政権や、勘違いした威張り散らす「オジサン」&「オバサン」)がイニシアチブを握ることが多く、それに不満を唱えながらも「剣を持って」逆らうことが歴史的には少なかった(それは「お上」ってやつです)。

 でもいま、豪壮なショッピングモールで弊店間際まで賑わい、カートゥーン・ネットワークのキャラクター・ショーにムスリムの子供たちまで夢中になるマレーシアの風景を見て、思う。
 アジアの多様性こそが、21世紀を生き抜くためのヒントじゃないのかな、と。

 という感じで、1つ。
 現地で会った中国系マレーシア人の、珠玉の日本語ギャグ。
 泥棒が多い地域:

 「盗難アジア」

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2005/11/02

倒壊道

 あるサイトで評判のとても良い箱根の旅館の予約が、普段の料金の半額で取れた。
 運良く仕事も一段落したところなので、泊まりに行く。
 その旅館は、強羅の外れにある。とある大企業の保養所だったものを一般に開放した、こじんまりとした居心地のいい宿だ。
 紅葉はまだ二分から三分という感じだが、凛とした秋の空気が気持ちいい。

 箱根、とりわけ強羅は、私にとって思い出深い地だ。
 何しろ、3歳から三年もの間、電車を乗り換え、箱根登山鉄道に乗り、強羅にある女子大付属の幼稚園に通い続けていたのだ。この長大な通勤・通学時間は、いまだに自己記録である。
 その頃、箱根登山鉄道は、私にとって日常の一部であり、非日常にワープするトンネルのような存在だった。ゆっくりと走る車窓から見た花鳥風月・雪月花は、いまだに心の原風景だ。
 いまは車で行くことが圧倒的に多いけど、箱根に行くと、子供の頃の自分がちょこまかと歩いているような気もする。

 余談だが、折角“お受験”までして入ったのだから、小学校まで行って(当時は男子も小学校まで行けた)、系列の私立中学に進学すれば人生も変わったのだろうけど、女子大付属で育つことに危惧を抱いた家族によって公立の小学校に戻され(だったら“お受験”させるなよ!)、以後、学業では最後まで超低空飛行を続けた。

 幼稚園の裏手には、馴染みの保養所があり、まるで家族の一員のように接してくれた。
 いまでは親会社が倒産し、その保養所は人手に渡ったが、つい最近まで、事あるごとにお世話になり、硫黄で真っ白の風呂に浸かっていた。
 そう。考えてみれば、3歳の頃から、ずっと温泉に浸かり続けている。

 強羅の旅館で松茸に舌鼓を打ち、風呂に浸かっていたら、何だか元気が沸いてきたような気がした。たまには原風景の真っ只中に身を置くのも、悪くはない。

 箱根八里ということで、1つ:壊れやすい道路

 「倒壊道」

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2005/10/20

横浜税ブリッジ

 横浜トリエンナーレで、総合ディレクターの川俣正さんと話をする。
 川俣さんと最初に会ったのは、まだ川俣さんが東京芸大の教授だった、ある冬のこと。美術学部のオープンカフェで凍える夜に熱い話をしたのだけど、翌朝、やっぱり見事に風邪をひいて寝込んでしまった。

 久しぶりにお会いした川俣さんは、筋骨隆々。あんなに忙しそうなのに、いつウェイト・トレーニングをしているんだろう?私はウェイトをあまりしなくなったら、見事に「両国系」になった。1週間に5000m、1年に200キロは軽く泳いでるのだが、生まれ持った体質には全くもって逆らえない。あーあぁ。

 横浜トリエンナーレは「空想力の遊園地」。コンピューターゲームのようなヴァーチャルな空想感覚は得られないけど、日常からの遊離のような精神的フレアー感覚は得られる。
 ああいうところで遊ぶ子供は、自分の足元からヒントを見つけるような成長を遂げるような気もする。何となくだけど。

 ちなみに、川俣さんの故郷は北海道三笠市。川俣さんと話すたびに、4年前の夏に三笠市の桂沢湖で、濃厚な仕事をしたことを思い出す。富良野に行く道すがらにある、恐竜像が聳え立つ人工湖です。
 私は横浜市中区の生まれなので、山下埠頭辺りの空気が、何故か一番体にフィットする。やっぱり生まれた街はいいですね。

 横浜の風景を変えた橋をシニカルに見て、1つ:多額の税金で作った橋

 「横浜税ブリッジ」

 

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